押印がない自筆証書遺言の有効性(大阪高裁昭和48年7月12日、最判昭和49年12月24日)

大阪高裁の判断

『本件遺言書には遺言者の押印がない。しかし、右遺言書は次の理由により有効である。文書の作成者を表示する方法として署名押印することは、我が国の一般的な慣行であり、民法九六八条が自筆証書遺言に押印を必要としたのは、右の慣行を考慮した結果であると解されるから、右の慣行になじまない者に対しては、この規定を適用すべき実質的根抱はない。このような場合には、右慣行に従わないことにつき首肯すべき理由があるかどうか、押印を欠くことによつて遺言書の真正を危くする虞れはない、かどうか等の点を検討した上、押印を欠く遺言書と難も、要式性を緩和してこれを有効と解する余地を認めることが、真意に基づく遺言を無効とすることをなるべく避けようとする立場からみて、妥当な態度であると考えられる。

これを本件についてみるのに、前認定の事実および成立に争のない甲第一号証、原審証人中村仁策の証言により成立を認める甲第三、第五号証、原審証人樋口良夫、同テー・エー・バイチユク、同寺谷京子、同中村仁策の各証言によれば、亡サホブ・ケイコは一九○四年ロシアで生れたスラブ人で、一八才のとき来日し、以後四○年間日本に在住したが、その使用する言葉は、かたことの日本釜四を話すほかは、主としてロシア語又は英語であり、交際相手は少数の日本人を除いてヨーロツパ人に限られ、日常の生活もまたヨーロツパの様式に従つていたことが認められるから、同女の生活意識は、一般日本人とは程遠いものであつたことが推認される。このような点からすれば、同女が本件遺言書に押印しなかつたのは、サインに無上の確実性を認める欧米人の一般常識に従つたものと入るのが至当であるから、押印という我が国一般の慣行し従わなかつたことにつき、首肯すべき理由があるといわなければならない。もつとも、同?女が自己の印鑑を所有し、不動産処理の際等に使用していたことは、前認定のとおりであるが、右使用ぱ官庁に提出する書類等特に先方から劃印を要求されるものに限られ、そうでないもの、例えば火災保険契約書の如きものについては、日本国籍取得後においてもサイソをするだけで押印していなかつたことが、原審証人テー・エー・バイチユク同笠原義夫、同中村仁策の各証言により認められるから(この認定に反する原審証人石田ウメ子の証言は措信しない。)、右印鑑を所有し使用した事実も右認定を左右することはできない。次に、欧文のサインが漢字による署名に比し遥かに偽造変造が困難であることは、周知の事実であるから、本件遺言書の如く欧文のサインがあるものについては、押印を要件としなくとも、遺言書の真韮を危くするおそれは殆どないものというべきである。』

相続弁護士のコメント

本件の大阪高裁判決については上告がされましたが、上告審が上告を棄却したことでその判断が是認されています。

本件の要点は、文書への押印は日本の慣行であり、押印がない場合でも当該文書が遺言者の真意に基づくものであると評価できる場合は自筆証書遺言の様式性を緩和して押印を不要とする余地があると判断しています。この点を読むと、かなり広い事例に妥当する判断のように読めますが、そうすると民法が自筆証書遺言に『押印』を要求したことと矛盾してしまいます。自筆証書遺言が遺言者の真意に基づいて確定的に成立したことを明らかにする目的で、あえて民法の条文で署名に加えて『押印』することまでを要求したのですから、解釈により押印不要の場合を広く認めることはできません。

その上で、本件の事案をみると、本件では、遺言者がロシア生まれのスラブ人であることや日本における交友関係、日本の『押印』文化との距離感、欧米における『サイン』の性質などを詳細に認定した上で、押印不要との判断を導いており、実際にはかなり例外的な事例と考えられます。また、現代では法的な情報を収集することは各段に容易になっており、同様の事例でも遺言が有効と判断されるとは限りません。本件は遺言者の属性等に加えて、時代背景も考慮した上で、その射程を吟味する必要がある事例と思われます。

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