自筆証書遺言の日付が「昭和47年7月吉日」と記載された遺言が無効とされた事例(最判昭和54年5月31日)

最高裁の判断

『自筆証書によつて遺言をするには、遺言者は、全文・日附・氏名を自書して押印しなければならないのであるが(民法九六八条一項)、右日附は、暦上の特定の日を表示するものといえるように記載されるべきものであるから、証書の日附として単に「昭和四拾壱年七月吉日」と記載されているにとどまる場合は、暦上の特定の日を表示するものとはいえず、そのような自筆証書遺言は、証書上日附の記載を欠くものとして無効であると解するのが相当である。』

相続弁護士のコメント

本件で最初に学ぶべきことは、日本の取引で使われている「●月吉日」という表記を法律文書に使うことは絶対に避けるべきということでしょう。

本件の「吉日」との記載は、特定の日付を意味しないことから、自筆証書遺言の成立要件である年月日の記載がないと評価し、遺言は無効となります。自筆証書の内容や証拠により、遺言の作成日が認定できる場合、有効にすることはできないのかとの疑問が湧いてきますが、控訴審の東京高裁は『要式行為はその方式に従つていなければ法律上の効力を生じないものであり、民法は自筆証書による遺言を厳格な要式行為としているのであるから、その解釈上要式性の緩和についてもおのずから限度があるといわざるを得ない。確かに民法の規定する要式性は自筆証書による遺言をしようとする者にとつて不自由であり不便な場合もあり得るのであつて、立法論としては、繁雑をいとわなければ、日附の記載がない証書による遺言もこれを一応有効とした上、他の証拠によつてその作成時期を確定し、遺言能力の存否なり、作成時期の先後なりを決することとすることも可能であろう。ただ、民法は、そのような態度を採ることなく、遺言者の真意を明確にし、事後における紛争と混乱を避けるため、画一的に日附の自書を強制することとしたものと解すべきである。この民法の法意に照らすとき、自筆証書による遺言が有効であるためには、要式行為はその方式に従つていなければ法律上の効力を生じないものであり、民法は自筆証書による遺言を厳格な要式行為としているのであるから、その解釈上要式性の緩和についてもおのずから限度があるといわざるを得ない。この民法の法意に照らすとき、自筆証書による遺言が有効であるためには、当該証書自体により遺言成立の日が一義的に明確にされていることを要するものと解するのが相当である。」と判示し例外を認めることには慎重な立場をとっています。自筆証書遺言の成立要件を明確にして紛争を防止する観点からは妥当な見解だと思われます。

もっとも、遺言作成日の誤記に関する最判が『自筆遺言証書に記載された日付が真実の作成日付と相違しても、その誤記であること及び真実の作成の日が遺言証書の記載その他から容易に判明する場合には、右日付の誤りは遺言を無効ならしめるものではない。』と判示していることとの関係で、原審の東京高裁が「自筆証書による遺言が有効であるためには、当該証書自体により遺言成立の日が一義的に明確にされていることを要するものと解するのが相当」との判示している点の整合性は更に検討が必要と思われます。①誤記の事例は誤記ではあるが、日付の記載は暦上に存在する特定の年月日を意味している事例(他の事情・証拠を考慮すると誤記であることが判明する)、②本件は暦上に存在しない「吉日」という無効な記載=日付の記載がない事案(「吉日」という記載自体で日付の記載がないことが判明する)と考えれば、両者は事案が異なるという説明も可能かもしれません。あくまで私の個人的見解です。

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