第三者が遺言者が遺言を筆記することを援助した場合に『自書』の要件を満たすかが争われた事例(最判昭和62年10月8日)

最高裁の判断

『自筆証書遺言の方式として、遺言者自身が遺言書の全文、日附及び氏名を自書することを要することは前示のとおりであるが、右自書が要件とされるのは、筆跡によって本人が書いたものであることを判定でき、それ自体で遺言が遺言者の真意に出たものであることを保障することができるからにほかならない。そして、自筆証書遺言は、他の方式の遺言と異なり証人や立会人の立会を要しないなど、最も簡易な方式の遺言であるが、それだけに偽造、変造の危険が最も大きく、遺言者の真意に出たものであるか否かをめぐって紛争の生じやすい遺言方式であるといえるから、自筆証書遺言の本質的要件ともいうべき「自書」の要件については厳格な解釈を必要とするのである。

「自書」を要件とする前記のような法の趣旨に照らすと、病気その他の理由により運筆について他人の添え手による補助を受けてされた自筆証書遺言は、(1)遺言者が証書作成時に自書能力を有し、(2)他人の添え手が、単に始筆若しくは改行にあたり若しくは字の間配りや行間を整えるため遺言者の手を用紙の正しい位置に導くにとどまるか、又は遺言者の手の動きが遺言者の望みにまかされており、遺言者は添え手をした他人から単に筆記を容易にするための支えを借りただけであり、かつ、(3)添え手が右のような態様のものにとどまること、すなわち添え手をした他人の意思が介入した形跡のないことが、筆跡のうえで判定できる場合には、「自書」の要件を充たすものとして、有効であると解するのが相当である。』

相続弁護士のコメント

本件最判は、いわゆる添え手をして作成した遺言が遺言者が自ら記載したもの(自書)と言えるかについて判断基準を示した最高裁判決です。

本件最判は、自書が要求される趣旨を『筆跡によって本人が書いたものであることを判定でき、それ自体で遺言が遺言者の真意に出たものであることを保障することができる』点に求めた上で、(1)~(3)の要件を示しています。これらの要件は、要するに遺言者の筆跡が第三者の援助・介入により変わっていないことを要求するものと理解できます。筆跡が変わっていなければ遺言者の真意に出たものであるかを判断可能⇔筆跡が変わってしまうと遺言者の真意に出たものか判断できないという趣旨と解され、自書を要求する趣旨から一貫した規範が建てられています。もっとも、実際の訴訟では、添えてがされたという事情がない事案でも、遺言の筆跡が遺言者のものか否が判然としないことが多くあるため、本件最判で前提とされている「遺言者の筆跡」を確定させることが最初の難関のように思われます。

また、本件最判によれば、添え手の程度は事実認定の問題となりますが、自筆証書遺言の作成状況が客観的に明らかになることは少ないため、事実認定が微妙な事案も出てくるように思います。本件最判は、本件遺言作成当日、遺言者は「字がひどくねじれたり、震えたり、次の字と重なつたりしたため、於石から「ちよつと読めそうにありませんね」と言われてこれを破棄したこと」、他方で、遺言書には、『草書風の達筆な字もみられ、便箋四枚に概ね整つた字で本文が二二行にわたつて整然と書かれて』いたことを認定して自書性を否定しており、比較的自書性を欠くことが明らかな事案であったことには留意する必要があります。

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