遺産分割が成立する前に遺産である預貯金の払戻しを受けることができるという制度についての解説

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2019年9月16日 記事公開
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1.はじめに

 弁護士法人Boleroの代表弁護士小池智康です。

 

 令和元年7月1日から、原則、改正相続法が施行されました。

 今回の相続法改正は多岐にわたり、実務への影響も非常に大きい内容となっていますが、今回はその改正事項のうち、「遺産分割前の預貯金債権の行使(民法909条の2)について解説します。

 

2.遺産分割前の預貯金債権の行使とは

 遺産分割前の預貯金債権の行使(民法909条の2)とは、日本語そのままではありますが、遺産分割が成立する前に遺産である預貯金の払戻しを受けることができるという制度です。このような制度ができあがまるまでには、紆余曲折があるのですが、この点は後記3で触れるとして、まずは、相続法改正で規定された内容を確認しましょう。

 

(遺産の分割前における預貯金債権の行使)
第九百九条の二 各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の三分の一に第九百条及び第九百一条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については、単独でその権利を行使することができる。この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。

 

 

 民法909条の2は、前段で共同相続人が単独で(他の共同相続人の同意なしに)行使できる預貯金債権の額を定め、後段で預貯金債権を行使して預貯金の払戻しを受けた場合の効果を規定しています。

 

 民法909条の2前段は、共同相続人が単独で行使できる預貯金債権の額について、相続開始時の預貯金の残高に対する、法定相続分(民法900条及び901条)の3分の1の額としています。これが原則です。ただし、法務省令により各金融機関ごとの上限が150万円とされています。

 

 遺産分割前の預貯金債権の行使の制度は、遺産分割が完了する前の段階の小口の資金需要に対して、裁判所の関与なしに権利行使を認める制度であることから、上記のような制限が設定されています。

 

 行使できる預貯金債権額の基準となる残高は「相続開始時」とされています。相続開始時以外に預貯金債権行使時という考え方もあり得ますが、共同相続人間で権利行使時が異なる場合、残高が変動し(例えば、公共料金の引き落とし等がされる等により残高が変動します)、結果的に行使しうる預貯金債権額も変わってしまいます。そこで、共同相続人全員の理論上の行使額が同じになる相続開始時の残高が適当と判断されたものと思われます。

 

 実務では、共同相続人の一人が、相続開始後に預貯金を引き出すことがあり、この場合、実際の残高は相続開始時点よりも減少しています。相続開始時を基準として預貯金債権の行使額を決定するということは、上記のような相続開始後の預貯金の出金を考慮することなく、預貯金債権行使時点の残高を基準に払戻が認められるということになりますので、簡易な預貯金の払戻方法として非常に有効であると思われます。

 

 次に、民法909条の2後段は、前段により取得した預貯金については、一部分割をしたものとみなすとしています。今回の相続法改正では、従前から実務で認められていた一部分割を明文化しているところ(民法907条)、遺産分割前の預貯金債権の行使の効果は、遺産の一部を取得するものであることから、一部分割と同様に扱うことにしたものです。

 

 その結果、後の遺産分割で決定される具体的相続分から、遺産分割前の預貯金債権行使により取得した金額は控除されることになり、その金額が具体的相続分を超過する場合は、代償金の支払いにより清算をすることになります。

 

 遺産分割前の預貯金債権の行使は、一部分割と同様とされることからすると、具体的相続分を上回る遺産を取得した共同相続人は、先行する一部分割とその後の遺産分割で具体的相続分を上回る遺産を取得することと同様の状態にあります。そこで、このような場合は、当該共同相続人に対して、超過取得額を代償金として支払う方法により清算させることになります。

 

 後記3のとおり、最高裁大法廷決定平成28年12月19日(民集70巻8号2121頁)以前は、預貯金債権は相続開始により法定相続分又は指定相続分により当然に分割される(特別受益・寄与分による修正を経た具体的相続分ではありません)との最高裁判例(最判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁)にしたがって実務が運用されていました。この判例にしたがうと、預貯金については、相続開始により分割が完了しているため、他の財産の遺産分割において考慮することができず、共同相続人の一部が生前贈与により多額の特別受益が存在する場合にやや不公平な結果となっていました。

【具体例】

相続人:長男A、二男B ※被相続人:父

遺言:なし

遺産:①預貯金2000万円

   ②不動産1000万円×2物件

特別受益:A預貯金3000万円

 

 この場合、まず、預貯金は相続開始により当然にA及びBが1000万円ずつ取得します。

 その後、遺産分割を行うことになりますが、不動産の評価額が合計2000万円、特別受益の持戻し分が3000万円、遺産の合計額は5000万円になります。ここで、法定相続分各2分の1とすると、A及びBの取得額は2500万円になりますが、Aは生前贈与で3000万円を取得しているため、②の不動産を取得することはできませんが、他方で、法定相続分を超過している500万円を支払う必要はありません(当然分割された預貯金から支払う必要もないということになります)。

 以上の結論を整理すると次のとおりです。

【A取得分】

・預貯金1000万円(当然分割)

・預貯金3000万円(生前贈与)

合計  4000万円

【B取得分】

・預貯金1000万円(当然分割)

・不動産2000万円(遺産分割)

合計    3000万円

 

 以上の結論は、預貯金債権が相続開始により当然分割される結果、遺産分割の対象とならず、遺産分割の手続における具体的相続分の算定で預貯金債権を取得した事実を考慮することができないため、やむを得ないものとされていました。

 

 相続法改正により、このような不都合を解消するため、遺産分割前の預貯金債権の行使を一部分割として整理し、遺産分割前の預貯金債権の行使を後の遺産分割と一体として扱うことにより最終的な取得分を算定し、具体的相続分を超過する場合に、当該共同相続人に代償金支払いによる清算義務を課し、公平な遺産分割を実現する点にあると考えられます。

【具体例】※上記の例と同様の事実関係とします。

【A取得分】

・預貯金    150万円(遺産分割前の預貯金債権の行使)

・預貯金   3000万円(生前贈与)

・預貯金     350万円

合計  3    500万円

【B取得額】

・預貯金    1500万円(遺産分割)

・不動産2物件:2000万円(遺産分割)

合計      3500万円

 

 以上の制度は、預貯金債権を遺産分割の対象に含めるとした判例変更を踏まえて、今回の相続法改正において新設されたものであり、公平な遺産分割の観点から有益な制度であると思われます。

 

3.相続法改正前の状況と改正の経緯

 相続法改正により新たに規定された遺産分割前の預貯金債権の行使の内容についてご説明しましたが、実は、遺産分割と預貯金債権の関係には、長い歴史があり、これを踏まえて今回の相続法改正により遺産分割前の預貯金債権の行使が規定されたという経緯があります。

 そこで、簡単に、遺産分割と預貯金債権の歴史を解説します。

 

(1)当然分割説(最判昭和29年4月8日民集8巻4号819頁)

当然分割説は、預貯金債権は相続開始により、法定相続分又は指定相続分(遺産の20%をAに相続させる等の分割方法の指定を含まないもの)により当然に分割され、共同相続人間の合意がない限り、預貯金債権は遺産分割の対象にならないという考え方です。

 

最高裁が示した当然分割説により、実務では、当面の生活資金の手当て、相続税の納税原資の確保等のために、共同相続人が単独で預貯金の払戻しを行うという対応が定着していました。

 

他方で、当然分割説は、預貯金債権を行使される金融機関側からは厳しい批判にさらされていました。

 

金融機関としては、①個々の共同相続人ごとに払戻しをする事務処理の負担が重いことに加え、②金融機関側は確知しえない遺言の有無により支払いの可否・金額が変動するため過誤払いの可能性があること、③共同相続人の一人から単独で払戻しの請求がある事例は通常紛争化している案件であり、払戻しに応じた場合、他の共同相続人からクレームが入り対応に苦慮することなどがその理由として挙げられていました。

 

そのため、金融機関に対し、共同相続人が単独で預貯金の払戻しをもとめても、窓口レベルでは、「相続人全員の遺産分割協議書が必要」、「他の相続人の了承を取り付けて欲しい」といった対応がなされ、事実上、単独での預貯金払戻しが拒絶されることが多く、代理人弁護士が交渉・訴訟を提起するなどして、預貯金の払戻しを受けることを余儀なくされるという弊害が生じていました。

 

(2)遺産分割説(最大決平成28年12月19日:民集70巻8号2121頁)

 当然分割説による運用は、紛争化した遺産分割を手掛ける弁護士からすると、本格的に遺産分割調停・審判が始まる前に預貯金を解約することで、当面の弁護士費用や納税資金を確保し、資金的な余裕をもって紛争に対応できるため、有用な運用でした。

 

 他方で、①金融機関サイドから非常に厳しい批判がなされていたこと、②特に紛争化していない遺産分割では個別に預貯金を払い戻す必要がないこと、③遺産分割調停においても預貯金を遺産として計上した上で共同相続人から異議がでなければ共同相続人の同意があるものとして、預貯金を遺産分割の対象とする運用が定着していたことなどから、当然分割説による運用が有用性を発揮する場面はそれほど多くなかったという実情がありました。

 

 このような経緯で、徐々に預貯金債権に関する当然分割説を見直す機運が高まり、最高裁大法廷決定平成28年12月19日(民集70巻8号2121頁)により、預貯金債権は相続開始より当然に分割されるとの判例が変更され、預貯金債権は、相続開始により、共同相続人間で準共有となり、遺産分割の対象となるとの判断が示されました。

 

 当然分割説と遺産分割説という名称からは、具体的に何が違うのかがわかりにくいのですが、簡単に整理すると次のとおりです。

 

 

当然分割説

遺産分割説

相続開始の効果

法定相続分又は指定相続分に応じて当然に分割される。

法定相続分又は指定相続分に応じて、預貯金債権全体を準共有することになる。

権利行使方法

各相続人が法定相続分又は指定相続分に応じて単独で権利行使可能

相続人全員で権利行使するか、遺産分割が完了するまで権利行使できない。

遺産分割との関係

分割済みのため遺産分割の対象にならない。

遺産分割の対象となる。

 

 遺産分割説に判例変更されたことにより、預貯金債権を単独行使することができなくなるというのは、遺産分割が完了するまでの間は、預貯金債権は共同相続人で準共有されている状態であり、預貯金を払い戻すことは処分行為にあたり相続人全員の同意を要する(民法251条)ため、単独では払戻しができないという点を指摘するものです。

(3)判例変更を踏まえた実務的な手当て

 このような判例変更により、預貯金債権は共同相続人全員の同意又は遺産分割が完了するまで払戻しができないこととなり、金融機関の批判が容れられました。また、遺産分割調停の実務運用も最高裁に追認されたことから、これで、全て問題解決、とはなりませんでした。

 

 当然分割説の項でもご説明したとおり、当然分割説は大多数の相続案件では有用性を発揮しないものの、一部の紛争案件では当然分割説による預貯金の単独払戻しを認める必要性が依然として存在していたからです。例えば、死亡した配偶者の収入・預貯金を生活原資としていた他方の配偶者の当面の生活資金を確保すること、遺産分割が紛争化した事案で相続税の納税原資を確保すること等があります。

 

 そうこで、東京家庭裁判所は、判例変更前から存在していたものの、ほとんど利用されていなかった「仮分割の仮処分」という制度を利用して、上記の問題に対応する運用を開始しました。

 

 もっとも、仮分割の仮処分は、本案継続要件(遺産分割調停が裁判所に係属していること)を要求しているため、預貯金の払戻しを受けるために遺産分割調停を申し立てる必要がでてきます。また、仮分割の仮処分を申し立てても、必ず仮分割が認められるわけではなく、認められるにしても一定の審理期間がかかります。

 

 当面の生活資金や差し迫った相続税の原資を確保する方法として、常に仮分割の仮処分を要求するというのは余りに手続的負担が重く、仮分割の仮処分だけでは、緊急の資金需要に対応しきれない状況が生じてしまいました。

 

(4)相続法改正による手当

 

 このような状況を踏まえ、相続法改正において、仮分割の仮処分よりも手続的負担の軽い遺産分割前の預貯金債権の行使の制度が採用され、簡易迅速な預貯金債権の行使が認められるようになりました。

 

 他方、遺産分割前の預貯金債権の行使はあくまで簡易・迅速な権利行使を実現うるための制度であり、一定の金額的な制限があります。この制限を超える預貯金債権の行使が必要な場合は、より慎重な手続である仮分割の仮処分を利用するという制度的な棲み分けが予定されていると言えます。

 

4.「遺産分割前の預貯金債権の行使」が明文で規定されたことによる実務への影響

 

 遺産分割前の預貯金債権の行使の制度が規定されたことによる実務への影響としては、相続法改正前に比べ、共同相続人が単独で預貯金の払戻しをしやすくなることが見込まれます。

 

 遺産分割前の預貯金債権の行使は、仮分割の仮処分に比べて簡易・迅速な預貯金の払戻しを実現することは当然ですが、判例変更前の当然分割説当時の実務に比べても、預貯金の払戻しは容易になると予想されます。

 

 すなわち、当然分割説当時の実務は、判例という裁判所の解釈に基づき預貯金の払戻しに応じていましたが、当然分割説は、必ずしも法的な知識が十分でない一般の方には理解されにくく(相続人の一般的な意識としては預貯金も含めて遺産分割協議で分割方法をさだめるべきであり、遺産の一部である預貯金のみを切り離して取得することは受け入れがたいと思われます)、その結果、金融機関は、預貯金の払戻しを求める相続人と反対の相続人の板挟みになる状況が発生し、これが、共同相続人が単独で預貯金の払戻しを受けることに消極的になる原因となっていました。

 

 この点について、今般の相続法改正では、遺産分割前の預貯金債権の行使が判例に比べて一般の方にもわかりやすい民法の条文という形で規定され、かつ、払戻し可能額についても制限がされたことにより、当該制度を利用した払戻しに理解を得やすい状況がととのったと言えます。

 

5.弁護士法人Boleroの利用実績

 弁護士法人Boleroが実際に扱った事案としては、預金口座の存在は把握しているものの、着手金等の捻出が難しいという状況で、遺産分割前の預貯金債権の行使を利用し、着手金や当面の生活費を確保したという事案があります。

 案件の初期で資金面の不安がなくなったことから、その後の紛争解決に向けた選択肢が多くなり、また、生活面が安定したことにより依頼者の方が精神的に余裕をもって案件に対応できるようになるなど、遺産分割前の預貯金債権の行使が案件の解決に有効に機能しました。

 相続案件の初期で弁護士費用や鑑定費用等、資金確保が困難な場合は珍しくありません。この様な場合には、一度、遺産分割前の預貯金債権の行使をご検討ください。

6.まとめ

 

 遺産分割で紛争化してしまったので弁護士に依頼をしたいが、遺産の預貯金以外に着手金の原資がないという場合等、当座の資金需要に遺産分割前の預貯金債権の行使は非常に有効に機能します。

 

遺産分割でトラブルになった場合は、遺産分割前の預貯金債権の行使も検討することをお勧めします。

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